長野県針灸師会はあなたの健康、生活、スポーツをサポートしていきます!

  instagram

(一社) 長野県針灸師会

〒399-4511 長野県上伊那郡南箕輪村北殿3447

 

0265-78-3327

鍼灸net
公益社団法人 日本鍼灸師会

レジェンド鍼灸師に学ぶ経済危機 塩澤好三顧問編

 レジェンド鍼灸師に学ぶ経済危機 塩澤 好三顧問編

 中信地区 吉澤  孔明

 

 

  2019年の年末から海外で始まった新型コロナウイルスの被害は日を追うごとに増えていき、日本でも4月に緊急事態宣言が発令されました。治療院への来院者の減少や、マスクやエタノールといった衛生材料の入手困難が起き、この状況にどういう対応をしたらいいのか、何をどうしたらいいのか困惑し、いつまで続くのかと先の見えない不安を抱えています。

 

  今回のコロナ禍による来院者の減少や衛生材料の入手困難は鍼灸師の不況に違いはありませんが、長い鍼灸師の歴史の中では他にも危機はあったはずです。それを今村頌平学術部長が針灸師会に所属してくださっているレジェンド鍼灸師の皆さんから、経験した危機とその時の対応を教えてもらいに行こうと話して下さり、実現したのがこの「レジェンド鍼灸師に学ぶ経済危機」であります。

  第一弾は長野県針灸師会の会長もされた長野の池田良一顧問から記事を頂いきました。本会報にも掲載されておりますので、ご一読ください。

  第二弾は昨年の春に叙勲を受けられた松本の塩澤好三顧問です。5月24日に松本市中央の塩澤好三先生の治療院へ今村学術部長とお邪魔し、過去の社会的不況の状況と対応、コロナ禍に対するお話を伺いました。

  以下はお話しいただいた中から経済危機やコロナ禍に関する内容を抜粋し、編集したものになります。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 聞き手:今村頌平学術部長(以下今村)、吉澤孔明(以下吉澤)

 

 話し手:塩澤好三顧問(以下塩澤)、塩澤よし江先生(以下よし江)

 

 

過去の不況下での様子

 今村:早速ですけれども全体の流れとして、オイルショックの第一次、第二次。それから、リーマンショックとかその辺りの時の不況時に鍼灸院がどうなって塩澤先生がどのように対応されたのか、どう言うことをもってどういう対応をされたかっていうことをお聞きしていきたいと思います。塩澤先生は昭和43年に明治鍼灸専門学校を出られて、45年の5月に松本中央に開設されているので、開業されて3年目でオイルショックの一次なんですよね。

 

 塩澤:あ、そうなんだ。

 

 よし江:48年でしょ?

 

 今村:はい、オイルショックが48年です。

 

 よし江:うちの長男が生まれたのが48年で。あの時大変だったんだよ、トイレットペーパーがないってで大騒ぎしたしね、あと魚がなんとかこうとかってえらい大騒ぎしたの覚えてる。でも、あの頃良かったよね?

 

 今村:良かった?そうなんですか?

 

 よし江:それなりには頑張ってたよね?

 

 塩澤:ね?

 

 よし江:借金もなかったしね?まだ、子供がいた時はまだ。

 

 今村:借金なしで開業されたんですか?

 

 塩澤:そうそう。家業を継いだ格好だでね。

 

 今村:その時っていうのは、患者さんとかっていうのは減ったりとかっていうのは特になく?

 

 塩澤:もう記憶も失せてきちゃって。一人でやってただな…。俺が長野へ月に2度言ってたんだ。叔父(塩澤幸吉)さんのところへ手伝いに。13日と22日かな。それは叔父さんがね、別の場所へ出張してたもんで。代わりに。だけど…もうどうだったかなんて記憶は……ねぇわな。24、5の話でしょ。

 

 今村:はい。

 

 塩澤:だいたいその時患者さん見るのが…あ、結婚しててだよな…もう普通に見れたな。結婚する前はおどおどしてた。

 

 吉澤:そうだったんですね。

 

 塩澤:俺が仕事していいだかいなんて。とりあえず俺二十歳と6ヶ月で免許証もらってるだよ。あの当時は2年半だったんだよ。二十歳と6ヶ月で卒業して、その後半年経って松本へ帰ってきたのかな。

 

 吉澤:その時おどおどしてたんですか?先生が?

 

 塩澤:うん。患者さん見るのが怖かった。

 

 吉澤:いつから大丈夫になってきてるんですか?それは。

 

 塩澤:いやーだからやっぱり結婚してからじゃないかや。そのー慣れないから。それまではね、師匠の側で付いて灸すえてたから。責任なかったわけじゃん。自分でやるようになったら…。とにかくお腹見せてていうのが言えなかったの。恥ずかしくて。まぁ男の人はいいけど、女性なんかはさ。でも腹見るのは基本だとかなんとかだってのあるじゃん。あるいは腹痛てぇとかね、調子悪いと。お腹出してって言う言葉は、言うには勇気がいったよ。最初は。

 

 吉澤:先生でも最初はもちろんあるわけだから、そう言うこともありますけど。

 

 塩澤:だけど、オイルショックで減ったとかって言う記憶はないけど、そのままきちゃったよな?

 

 よし江:うん。どうにか食べていけたもんね。

 

 塩澤:とりあえず、蟻ヶ崎台で家を建てたのはいつだい?

 

 よし江:52年。52年の時に蟻ヶ崎台へ家を建てたんですよ。その時に初めて借金をしたもんでね。だからやっぱり借金があるって言うことは、生活とそのローン組んだのを払ってかなくちゃいけないわけだから。

 

 塩澤:だから52年までは悠々自適っていうか。

 

 よし江:悠々自適じゃないわよ。そんな余裕なんかないわよ。

 

 塩澤:いやいや、精神的にさ。借金ないからさ。

 

 吉澤:どうしてもっていうのは生活だけしてる分があればってことですよね。

 

 よし江:そうだね。最初ん時は市営住宅の方だったから、それこそ気楽でしたもんね。

 

 吉澤:なるほど。

 

 塩澤:あの当時、全国の青年部の役員やってたでしょう。あれでどこでも飛んでいけたもんな。みんなあれ自腹だもんな。あっちだーこっちだーつって。

 

 今村:衛生材料が手に入らないってことあったんですか?

 

 塩澤:衛生材料は何かないって事はなかったよな。針もちゃんと来てたし。ただあの当時は使い捨てじゃなかったからなぁ。

 

 よし江:52年位ね。消毒機と使い捨てが始まってきたのはね。でも52年位の時も結局またよかったのよ。保険の人が来なくても現金で生活していけたっていうことは大きかったんですよ。現金の人が週1回や2回来てくれれば結構大きなお金ですからね。もうそれが何人か来てくだされば、それでもう充分。今は現金の人が少なくなっちゃったからね。やっぱり保険がきかないと近くの人は来れないわね。昔は結構現金でもおじいちゃんおばあちゃん2人で来て一万円札出してお釣りちょっともらってくだけでも、来れたって事はすごいよね。私そう思ってだけどね。いい患者さんもついてたって言うのもあるかもしれないね。

 

 

今の治療院と借金と病気

 塩澤:事業的にあれしたこれした、これで困ったっていうのはあんまりなくて、ズルズル来て。1番困ったのはやっぱりこの家(松本市中央)へ借金をしてからだな。やっぱ借金はでかかった、これは。1階減らしておけば良かったと思って。3階建てにしてさ、ちょっと4階まで作っちゃったから。それが計算外。

 

 よし江:だからよくみんなにも言うだよね。3階だったらとっくに終わってるのにさ。また欲出しちゃったもんだから、1階分少なかったらうんと楽だったって。

 

 塩澤:世の中車社会になってきたからな。だんだんと。そう言う意味では駅前がいいとかないかな。今のコロナだって家賃見てれば大変なところいっぱいあるじゃん。

 

 吉澤:売り上げはなくてもそう言うのは払わないといけないから。

 

 塩澤:借金ってのは売り上げなくても返済は待ってくれないからな。昔三木先生のところにいた時、住友の堀田庄三頭取が来ててな、お灸してあげてたりしてただよ。先生が針してな。その頭取が言うにはな「君、銀行っていうところはな借金してもいいけど、利息は日曜でも付くんだぞ。」って教えてくれたことがある。でも、無い人にしてみればそうは言ってられないよ。

 

 よし江:まぁ若いうちはなんでも頑張れるから良いんだよ。なんでもやらなくちゃだめ。

 

 塩澤:その躓いたじゃないけど景気云々で気になったのはこっち来てローン組んでからの方が大変だったな。

 

 今村:再開発で仮設に一度移動された時も患者さんはあんまり変わらず来てくださってた?

 

 塩澤:うん。その時は変わんなかった。逆に、あの時は移転前の家がみすぼらしかったもんでね。仮設の時はプレハブで建て付けたようなやつだったけど、余裕があったな。

 

 よし江:でもあの時だって結構お金かかったよ?100万からかかったんだよ。プレハブ建てるので。

 

 塩澤:だって水洗便所引くだけで60万かかった。便所なきゃ困るじゃん。患者さん用とか自分用とかって便所出すじゃん。あれだけで60万。で、仮設は据付費用、撤去費用、本体費用つってみんなお金。

 

 よし江:うんと学んだな、あの時。あ、お金ってこんなにかかるんだって。だって家建てるったって結構色々なものくるでしょ。でも細かいものってのは結構あるんだよね。ここは鉄筋コンクリートだから重量計算すると杭打ちにうんとお金かかった。杭打ちだけで地下作るくらいかかった。ここは地盤が緩いらしいのよね。それで重みもあるからしっかり建てないと。でもそう言うのわかんないのよね。子供ももう学校行ってなかったけど…でもあの時具合悪くなったよね。

 

 塩澤:ハント症候群。

 

 今村:あ、これが50周年ですか。

 

 よし江:この家を作るちょうど。地鎮祭の時、主人顔曲がってたんですもの。えらかったんですよ、やっぱり。それだけ借金をするってことはえらかったんですよ。

 

 今村:どこかにハント症候群の書いてありましたよね?

 

 塩澤:会報に載ってる。

 

 よし江:顔変わったのね。半年針したもん。

 

 今村:じゃあ仮設の時と50周年は重なってた?

 

 よし江:そう。あの時今村和久先生やみんなに連れてってもらったんだもん。フラフラしてて。

 

 塩澤:色々あったね。まぁコロナだからどうこうって言われても困るし、ただ一生懸命生きて来たことは事実でな。

 

 よし江:平成13年頃は色々細かいことあったはずだよ。

 

 吉澤:ちょうどハント症候群で入院されたりとても大変だったんですね。50周年の時は。

 

 よし江:銀行さんも飛んできたもん。先生どうしましたかって。ちょっと体調悪くして一ノ瀬(脳神経外科)に入院したって言ったら銀行さんと工事やる方が飛んで行ったもんね。半身不随だったら正直なところ、仕事できないもんね。びっくりしたんじゃない?図面もできて、地鎮祭まで来て病気になられたってなったらね。ほんと色んなことあった。

 

 塩澤:まぁそれも一生だ。

 

 よし江:でもあれもやっぱり疲れが色々溜まってたんでしょうね?色んな疲れが、と思う。

 

 塩澤:たまたまなっただよ。自分じゃあんまりストレスも感じないよ。勢いがあったもんな。あれもやりこれもやり、あれもできたこれもできたつって。

 

 今村:そうですね…。他に景気が急に悪くなったとか、収益が急に落ちたって言うことはあったんですか?

 

 塩澤:それが今なんだからって…ねぇな?

 

 よし江:徐々に今まで来たよね。

 

 塩澤:まぁ、だけど基本的には去年病気したからな。それで暇んなった。入院したから。

 

 よし江:2ヶ月入院したからね。

 

 塩澤:やっぱり入院ってのは大きい。

 

 今村:このハントで入院した時は?

 

 塩澤:その時は別にあんまり景気関係ねぇだ。

 

 よし江:そんなんでもなかったよね。どうにかなったよね。まぁここのローンが払うってじゃないからね。ちょうど建てるって時だから。建てちゃって後、ローンを毎月払ってる頃にあなたが具合悪くなってどうこうなれば、やっぱその時はちょっとえらかったかもしれない。だから病気になるってことが一番大きい。

 

 塩澤:やっぱり俺が一番思うのは入院だ。でもな、入院したおかげでじっとしてることが苦痛でなくなった。入院してる時はじーっとしてるわけだ。テレビ見てぼやーっとして。今仕事ねぇったって平気だもん。

 

 よし江:いやそうでもないわよ。今月どうしようって考えるわよ。でも今主人は考えないのかな?

 

 塩澤:慌てなくなった。

 

 よし江:どうにかなるさって感じだよね。

 

 

会員に対して

 今村:今のコロナで苦しい会員に対してアドバイスはありますか?

 

 塩澤:これしたら良いってのは別にないよね?

 

 よし江:うん。でもやっぱり私患者さん見てて思うのはね、清潔な感じを与えなきゃいけないね。来た患者さんは「ここの先生も奥さんも気を使って、ちゃんとしてくれてるんだ」って言うそれを見せつけないと安心できない。さっきの人ここに寝てたのかしらって思われた瞬間、やっぱいやだと思うのよ。今は患者さんが少ないから逆に言えばそういうことやろうと思えばできるわけよ。たくさんいるとちょっと雑になっちゃうけど、少ないからこそある程度姿勢を見せていかないと。すぐに拭いてくれたり変えてくれたりしてるなって見えるようにしてる、私、わざと。そんな言い方悪いけど。今なんか毎日お風呂には入ってきれいにしてるんだから、人の匂いがするとか気持ち悪いと思うの。ルーズな感じだと、どうかなって思われるのはよくないと思う。私はね。だから、気をつけてる。どう?

 

 塩澤:ねぇ?いや、あんまり神経質な人は来ないわ。

 

 よし江:それはそうだけどね。そりゃ神経質な人は来ないかもしれないけど、そうしてるっていうのを見せないと。こんな良い世の中にいるんだから、やっぱり不衛生なことだけはしちゃいけないと思う。そういう時代に来てるんだもの。

 

この時期だから

 塩澤:この時期やっぱ皆んな自分で勉強するだな。もう一回原点に帰って。どういう勉強するか。

 

 今村:何が良いですか先生?

 

 塩澤:僕はどうしてこのツボが効くかっていうのが大昔っから考えている。だから一番最初やったのは「社会に信頼される鍼灸師」って青年部の頃はみんなそれだっただよ。そのためにはって。どうしてこのツボを取るのかっていう。

 

 よし江:患者さんが「先生に聞くと、先生よく知ってるらっしゃるね」っていう。そういう言葉ってやっぱりすごいよね。先生に聞けばわかるっていう信頼感。見ててそういうところは主人答えられるからすごいと思う。

 

最後に

 

 

 塩澤:まぁ基本的には人柄だよな。人の絆っていうのは。その人に合った人が集まるだわ。100人が100人上手くできないけど、その人に会える人が集まってくる。

 

 今村:そうですね…。今日は色々な話を聞かせていただいてありがとうございました。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 以上が経済危機やコロナ禍に関するお話でしたが、他にも療養費の受領委任に関するお話や青年部研修、勉強研究の仕方について、かつて交流のあった今は亡き代田文誌先生と倉島宗二先生などの話もお伺いできました。その内容はまたの機会を頂ければと思います。お話をいただいた塩澤顧問、温かく迎えてくださった奥様のよし江様に大変感謝いたします。ありがとうございました。